創った人の顔が見えるラン。
  宇井清太はこれを目標に育種してきたが、これが一番難しい。
  ランを創るより前に・・・美学と感性を身に付ける必要がある。
  ピカソの絵はピカソとわかる。シャガールの絵はシャガールである。
  ミロの絵はミロそのものである。
  宇井清太のCymbidiumは宇井清太である。
  これなら・・誰も真似できないランである。
  しかし、植物、生き物の育種は、絵の具で描くのと違って・・・自動車を作るのと違って、
  遺伝子という最も厄介なものが支配する領域。
  宇井清太の美学が、感性が宿る花を創るのは・・・神の支配である。
  神に・・・祈るより他にない。
  だが・・・天は手を差し伸べてもくれる!
  宇井清太の12000のCymbidiumの花の中には数多くの宇井清太の花がある。
  宇井清太の・・・美のワールドが繚乱と形成されている。
  一見して、巷に出回っているCymbidiumとは異なる美を持った花達。
  宇井清太夢炎53年蘭展は、宇井清太の顔が見える蘭で会場を埋め尽くす!
  品種12000種、約70000鉢。
  全て門外不出のオリジナル花、世界に一つの花である。
  宇井清太の蘭展は、トウキョウドームの蘭展のような賞を競う競技会ではない。
  育種でどこまで花を進化できるか・・・というものへの挑戦の精華の展示である。
  更に、一人の男が一つのものをどこまで出来るか・・・という展示でもある。

 第12回展は・・・文字通り・・・世界最高の蘭展にする!

 ラン科植物に人間が関ったとき、
 ランという植物ほど広い裾野を持った植物はない。
 一人の人で、この裾野を全てクリアして・・・一流になれる人いない。
 オンリーワンの道と 種目別のオリンピック競技のメダリストと思えばよい。
 100mで伝説を創る選手もいればマラソンで伝説を創る人もいる。
 ランに置き換えると・・・
  ○ 植物分類学者への道。
  ○ プラントハンターへの道。
  ○ プラント視察旅行者への道。
  ○ ラン写真家への道。
  ○ ランコレクション者への道。
  ○ ラン栽培技術者への道。
  ○ ラン育種家への道。
  ○ ランテレビタレントへの道。
  ○ ラン栽培講師への道。
  ○ 蘭展プロデューサーへの道。
  ○ ラン著述者への道。
  ○ ラン原種栽培者への道。
  ○ ラン切花生産者への道。
  ○ ラン鉢物生産者への道。
  ○ ラン苗生産者への道。
  ○ ラン遺伝子品種保存者への道。
  ○ ラン用土販売者への道。
  ○ ランの園芸店経営者への道。
  ○ ラン政治界の大御所への道。

  ランの頂上への登山口は以上のように多くあるが、
  極めれば、その一つ一つで一流になることが出来る。
  それがランである。
  その一つ一つを考察すれば、誰でも手の出せるものから、
  容易に出来ないものまである。
  どんな業界でも一流になるのは簡単ではなく、誰でもなれるものではない。
  一流というのは、どんな業界でも5本の指に入れば・・・そう呼ばれる。
  世の中には研究でも世界には同じことを研究している者は3から5人は居るといわれる。
  そこで鎬を削ることになる。
  スポーツの世界なら・・・数え切れない人が行っている。
  大御所。
  これは・・・その業界政治を牛耳っている人。
  蘭界にも蘭界政治???なるものがあるようである。
  組織化すれば、必ず大御所が生まれる。
  
  一流とオンリーワンは異なる。
  オンリーワンの仕事は一流になることより更に難しい。
  そういうことで、誰も真似の出来ないランの道を歩むとすれば、
  その道は限られてくる!
  その道は「育種」のみである。
  独自の遺伝子を使って独自のランを創る・・・道である。
  他の道は、例えば、プラントハンターも、ランの写真も、原種栽培も・・・
  他人もやろうとすれば出来るものである。
  だからこそランの王道は・・・「育種」なのである。
  
宇井清太は世界の蘭界で誰も出来ない、
真似の出来ないランつくりに・・・50年模索してきた。

他人が絶対真似の出来ないランつくりは、
どうやれば可能なのか???
結論から言えば・・・己しか持たない優れた遺伝子を膨大な量を持つことで可能になる。
オリジナル株を持たないラン栽培というのは、
本当の意味のラン創りとはいわない。
原種、他人が改良した個体、品種を栽培するのであれば、
それは誰でも、やろうと思えば出来ることである。
現に、農家が野菜を、山菜を栽培するのと同じこと。

栽培技術の秘術を用いた原種の大株つくりも、
それは素晴らしい技術かもしれないが、
絶対真似が出来ないということでもない。
技術は・・・いずれ他人も出来るようになるからである。

原種の突然変異株のコレクション。
これも他人が持たない個体を持つことが出来る。
しかし、プラントハンターが採取した株をカネで買うコレクションだから、
これをオリジナルとはいわない。
同じ分け株が他にも存在することが多いからである。
絶対他人が真似が出来ないまでにコレクション、株の保存が出来るかということであるが、
これは、カネで買える株であれば、カネで解決できるかもしれない。
ものすごいカネが必要かも知れないが・・・・。
趣味家が出来る範疇のものである。
真似が出来なくもない。
多くの蘭園が、このコレクションを売買して商売している。

自生地視察。
21世紀の現在の自生地視察は・・・健康とカネがあれば・・・しようと思えば誰でも出来ること。


そういうことでラン界、園芸界では、この遺伝子の集積の多少が死命を制すことになる。
誰も持っていないいない優秀な交配親を持って育種することが王道である!
これが蘭界、園芸界の常識である。
限られた遺伝子しか持たないで育種した場合は、
直ぐに近親交配しか出来ないじたになり、同じような花しか創れないことになる。
育種の壁である。
先に進めなくなる!
それで、一世を風靡した蘭園が・・・過去の栄光となってしまう。
この壁を破れないまま、世界の名門蘭園が次々に姿を消した。
育種とは難しいものである。

優秀な子供を生む優れた交配親、遺伝子を・・・いかに多く持つか。
この一言に尽きるのであるが・・・。
これが・・・他人が絶対真似できないランつくりである!
この遺伝子を他所に放出しなければ、絶対同じような花を創れないからである!
宇井清太のCymbidium。
世界で宇井清太しか持っていない遺伝子で創りだした品種12000.
他所では、今後・・・絶対に創ることが出来ない花である。
現在の蘭界の現状を考えれば・・・・
宇井清太のような馬鹿げたラン創りを行う者は、今後出ないであろう。
ランの育種で最も困難なのがCymbidiumだからである。
愛好家が趣味でやれることではないからである。
現在ではCymbidiumの優秀な交配親を新に入手することは出来ないからである。
宇井清太が分譲しない限りは。
10年後、20年後・・・・益々宇井清太のCymbidiumコレクションは価値が増す。


原種も一巡した。
主要なランでも・・・・ほとんど出尽くした。
ほとんどのランが壁にぶち当たっている!
だからこそ、トウキョウドーム蘭展の最高賞が・・・・原種の栽培技術賞である。
コメであれば・・・・多収穫日本一賞である。
栽培技術の出品中の相対評価での賞である。
つまり原種愛好には、この分野しかない!
誰が栽培しても原種の固定種は、同じ花が・・・咲くからである。
山野草愛好も同じである。

サラブレッドのダービー。
道産子馬の競馬。
こういうことを・・・考えてしまう。
ランは・・・あくまでもサラブレッドのダービーと同じでありたい!
ダービーは育種の夢が走るのである。
ランは育種の夢が花開くものでありたい。
宇井清太はそのように思っている。
原種は山の草である。
その草に、多くの花を咲かせる夢と、育種の夢には、雲泥の差異がある!
原種栽培は定年後でも、その日から栽培愛好家になることが出来が、
ランの育種はそういうわけにはゆかない。
交配して初花を見るには数年の時間を必要とする。
更に・・・名花を手にするには・・・交配親を手に入れることに・・・・時間と労力とカネ。
更に・・・大面積の栽培場温室を必要とする。
大鉢のCymbidiumが・・・最も困難。大温室を必要とする。
定年後の人、女が・・・・愛好で出来る領域のランではない!


優秀な遺伝子を多く持たない蘭園は、誇るものを創りだすことが出来ない。
オリジナルの自分だけの花を創ることが出来ない。
流行を追って商売するしかない。
今後、何が・・・流行るのだろうか・・・・????
宇井清太は流行を追わない。
絶対他人が真似の出来ないオリジナルCymbidiumのみを創り続ける。
そして・・・この遺伝子を他所に出さない!
己の道を歩むには・・・・この道しかラン界には残されていない。

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他人が真似の出来ない・・・ランつくり
 
        
       
 宇井清太が追い求めたもの
         唯一無二のランである!
            One & Only Oneの世界である!

         この遺伝子を持たなければ
               この花は創れない・・・・!


       宇井清太のCymbidiumは、他では絶対に創れない!
       そういう育種を追い求めてきた。
       これ以外のことは・・・ほとんど自分が出来れば他人も出来ることである。